松井道夫氏の名言や経営方針、息子に関する情報や言及について

近年の証券業界は、証券窓口へ出向くのではなく、インターネット上で取引を行うネット証券が主流となっています。

そのネット証券を日本で初めて開始したのが松井道夫氏です。

この記事では、松井道夫氏の経営方針や、息子についての言及内容について紹介します。

証券界の先駆者!松井道夫氏とは?

松井道夫氏は、松井証券の第4代目の社長を務めている人物です。

1998年には、日本で初めてインターネット証券取引である「ネットストック」をスタートし、松井証券の事業規模を大幅に拡大させました。

翌年の1999年10月には株式売買委託手数料が完全自由化されたのを受け、他社からも様々なネット証券が誕生しましたが、中でも松井証券は、業界初である返済期限のない信用取引を導入し、業界を牽引しました。

松井証券のトップとして手数料の完全自由化を見越し、インターネット証券へ参入した松井道夫氏は、証券業界やメディアから「証券業界の異端児」や「ネット証券のパイオニア」などと呼ばれています。

松井道夫氏が松井証券の社長となったきっかけは?

松井道夫氏は1986年に松井証券の2代目社長である松井武氏の長女と結婚しています。

しばらくは松井道夫氏の旧姓である「務台(むたい」」を名乗っていましたが、その後婿養子となりました。

結婚当初は松井証券を継ぐつもりはなかったという松井道夫氏ですが、結果的に松井証券を継ぐことを決断しました。

その理由として2代目社長である松井武氏から後を継いで欲しいという要請がなかったことをあげています。

要請がなかったからこそ、気にかかり半ば成り行きで社長を継ぐ形となりました。

松井証券の社長となることを決断した松井道夫氏に対し、2代目社長である松井武氏は「おやんなさいよ、でも、つまんないよ」と発言したというエピソードも松井道夫氏自身の口から語られています。

松井道夫氏の経営方針は?

松井道夫氏は、大学卒業後から松井証券へ入社するまで、日本郵船に勤務しており、そこで、海運業の「何をやっても儲からない」という不況を経験しました。

その経験を、今度は証券界に訪れた不況に活かし、社長へ就任する前からコストのかかる外交営業の廃止などの社内改革を進めました。

そして、1995年に松井証券の4代目社長に就任し、自由化論者として業界を主導しています。

松井道夫氏の名言3選

ここでは、松井道夫氏の名言を3つ紹介します。

「面白くない」と物事に当たればなんでもつまらないものになってしまう。

面白いはずだと思い込んでちょっとでも真剣にやってみると、

面白いネタが次から次へと浮かんでくる。

そしてそれを続ければ続けるほど、面白くなっていくのだ。

「給料をもらって働く」人と、「働いて給料をもらう」人はまったく違う。

前者は会社に従属する奴隷に過ぎないが、後者は個性を持った”個”だ。

「働いて給料をもらう」という感覚を持てば、一つ一つの判断が、いわば死ぬか生きるかの分かれ道になる。

もしここで間違えたら収入の道が断たれる。

それぐらいの感覚で行動しない限り、主体性は持てないのだ。

主体性の持てない奴隷には、私は甘んじたくない。

だれが解いても同じ答えが出る、数学などとは違い、

ある状況のもとで、会社や人間が取るべき行動は、ひとつではない。

いくら正しい論理を繰り広げてみても、視点を変えれば別の答えが導き出せる。

松井道夫氏の息子はどんな人物?

松井道夫氏の息子は、2018年に松井証券に入社しています。

松井道夫氏の取材に同席することもあるということですが、その他のことについては分かっていません。

松井道夫氏が息子に関して言及!その内容は?

松井道夫氏は、息子を始め家族が経営を継ぐ「同族経営」に対し、家族以外の社員に求められることと家族に求められることは異なると述べています。

また、経営に携る家庭に生まれることは「宿命」であるとし、同族経営に対して肯定的な立場をとっています。

松井道夫氏はネット証券の第一人者!

松井道夫氏は成り行きで社長に就任することを決心したとはいえ、敏感に業界の流れを先読みし、松井証券の規模を広げた敏腕経営者であることが分かりました。

6月の株主総会以降の退任が発表されていますが、退任後の活躍も期待できる人物です。